東京での仕事

週休2日の仕事が見つからず、僕の高知県への移住熱は一気に冷めてしまいました。

その時勤めていた会社の仕事には疲れ切っていたのですが、週休6日も毎日働くのは耐えられそうになかったので、とりあえず嫌々ながら勤める日々が続きました。

毎日暗いうちから電車に乗って出勤して、夜中の満員電車で帰宅。土曜も日曜も仕事をして、社長や取引先にヨイショする。

「なんでこんなことになっちゃったのだろう」とぼんやり考えながらも、毎日会社に通い、仕事を続けていました。

私の勤めていた会社はとても離職率が高く、10人くらいしか社員がいませんが、3年間で10人くらい辞めています。単純に計算すれば、離職率は3年で100パーセントです。労働時間は長いし、社長はなかなか曲者です。

そんな会社なので、毎日死ぬほど仕事をしていたら、入社3年で部長になりました。任される仕事は現場の仕事とあわせて、経営数字も管理するようになります。

Web係の会社でしたから、デザイナーとしてバナーも作れば、紙の広告も作る、サイト構築もするし、営業もするし、請求書も発行して、日々経営数字もチェックするといった、何から何まで自分でやっていました。

「これなら一人で会社やってんのと一緒じゃん」

もちろん実際に経営するのと、社員として管理するのでは全く違うとは思います。でも、なんとなくこれなら一人でも出来るのではないか、と感じてしまったんですね。

「高知に週休2日の仕事が無くても、自分で作ればいいじゃん」って思ってしまいました。

それからまた、移住熱は高まります。そして、さらに移住を考えさせるようなことが続きます。

ある時、いつものように帰宅中の満員電車で吊革に掴まりながらスマホを使って仕事をしていると、僕の前の席が空きました。そこで、ラッキーと思って速攻で座って仕事をし始めたのですが、なんだか周りがザワザワしだします。「?」と思って顔を上げたら、目の前に妊婦さんが立ってました。

どうやら僕の前の席にいた人は妊婦さんに席を譲ったのですが、僕がそんなのお構い無しに座ったので、周囲の人たちがざわついたみたいでした。

僕がおろおろしているうちに、別の方が妊婦さんに席を譲ってしまい、僕は純粋にヒドイ人になってしまったようでした。僕は逃げるように電車を降りました。

毎日、仕事仕事でカネのことばかり追いかけて、余裕も無く、愚痴ばかり。こんなことを繰り返していては、いつかオカシクなると感じました。