罪の意識を抉り出す 辺見庸著「1★9★3★7」

僕は辺見庸のせいで人生に躓いた。

初めて辺見庸の著作を読んだのは中学生の頃だったろうか。

そこから生きていることへの罪の意識のようなものが背中にへばり付いて離れなくなった。

常にそれを意識しているわけでもないが、何かの折にふとその罪の意識が顔を出して、楽しく脳天気に生きていこうとする僕の足を引っ張る。

それは、僕が辺見庸の指摘する戦争を起こした人間の孫であることだったり、戦争や社会の問題を見なかったことにして過ごしていることだったり、経済的強者として搾取の上に成り立つ暮らし振りだったり、今まで生きてきたなかでの罪だったりするものだ。

辺見庸の本は、読んでいて決して気持ちの良いものではない。戦争反対を声高に叫んで、誰かを糾弾して気持ちよくなる本ではない。他者を断罪すると同時に、読者自身の罪や恥の意識を抉り出して内省させ、自身を断罪せざるを得ない本だ。

本書の中で、ブリーモ・レーヴィの抜粋がある。

もし私たちがすべての人の苦痛を感じることができ、そうすべきなら、私たちは生き続けることができない。

人の気持ちになって考えましょうなどということは幼稚園児にも言うことだが、私たちにはそれが出来ていないということだ。何故なら私たちは、現に生き続けているのだから。

このことから思うのは、南京大虐殺が無かったとか、戦争を賛美する者は、罪の意識を負うことを避ける為に虚構を作り出しているのではないかということだ。

そしてそのように自身を罪の意識から身を守ろうとする手法は、私の中にも確かに存在する。

その罪の意識から身を守ろうとする手法として、辺見庸はニッポンジンの戦争における意識をあげる。

みずからを「加害者」ではなく、「被害者」の群れのなかに、ほとんどためらいもなく立たせてしまう作用をはたす、意識の欠陥。

自身を加害者ではなく被害者とすることで、罪の意識から逃れようとしているニッポンジンの欠陥。加害者であったことを無かったかのように振る舞ってしまう狂気。

このことを解説の徐京植は、

初めからニッポンジンたちは発狂していたのだ。そうでなければ、近隣民族の資源を奪い、自らの半分以下の低賃金で酷使し、反抗すれば投獄し、拷問を加え、殺害し、言語も姓名も奪い、若い女性を「慰安婦」として戦場に送り込む、そうした行為ができただろうか?その植民地支配を「民度の低い連中を引き上げでやるためだった」などと言い繕って平然としていることができるだろうか?しかも、敗戦後の数年間、昭和天皇死去の際、あるいは90年代に「慰安婦」をはじめ被害者たちが次々に現れ出た際など、その歴史を骨身に沁みて省察し、「正気」に返る機会は何回かあったのに、ニッポンジンたちはことごとくその機会を「スルー」してきたのである。

と断罪する。

私たちは常に内省すべきだし、そのことに無頓着な人間がいれば異議の声を上げるべきだ。

辺見庸は、慰安婦についての文章を阿川弘之から批判された時、辺見は言い返すことができなかったという。

わたしはガラにもなく紳士ぶり、ネコをかぶり、なんだか卑屈でさえあった。ひとは怒るべき実時間に怒り、それを、おずおずとでも、その場で表明しなければならない。

卑屈になり、場を荒立てないように誤魔化すのは、僕の得意技と言ってもいいくらいだ。死にたくなる。

大正昭和の時代に文字通り命を掛けて国家に抵抗した小林多喜二や大杉栄らの共産主義者や無政府主義者のようにはなれそうにもない。

そんな僕のような卑屈で逃げ腰な者が、少なくとも戦争に加担するような厚顔無恥にならないためにはどうすればいいのだろう。

僕のように逃げ腰な人間がどうすべきかについて、辺見は戦中に餓死した尾形亀之助を紹介している。以下は尾形亀之助の引用。

最も小額の費用で生活して、それ以上に労役せぬこと。このことは、正しくないと君の言う現在の社会は、君が余分に費やした労力がそのまま君達から彼等と呼ばれる者のためになるということもあてはまる筈だ。日給をニ三円も取っている独身が、三度の飯もやっとだなどと思ひこまぬがいい。そのためには過飲過食を思想的にも避けることだ。そしてだんだん一日二食以下で済ませ得れば、この方法のため働く人のないための人不足などからの賃金高は一週ニ三日の労役で一週間の出費に十分にさえなるだろう。(省略)
働かなければ食えないなどとそんなことばかり言っている石頭があつたら、その男の前で「それはこのことか」と餓死をしてしまって見せることもよいではないか。

そして辺見はこう続ける。

すこしも偉大ではない。偉大とよばれるほどつまらなくもなかった。

小林多喜二や大杉栄は、僕にとって眩し過ぎる。彼らは戦いの人だ。

僕には尾形亀之助や辻潤の逃げ回る生き方が精一杯。僕にはそれすら難しい。

現実に戦争になった時に餓死を選ぶことが出来るたろうか?それもまた命を掛けた闘争だ。実際に今僕が出来るのは労役から逃げ回ることくらいなのかもしれない。