辻潤と働かないこと

僕の人生で大きく影響を残した作家の一人に辻潤がいる。僕が20代前半に最も影響を受けた作家だ。

辻潤について

辻潤は、大正〜昭和初期に活動していた思想家で、スティルナーの「唯一者とその所有」を初めて日本語訳した人物。

同時代に活躍したアナキズムの大杉栄の妻で青鞜社の伊藤野枝の元夫が辻潤だと言えば分かりやすいかもしれない。

辻潤の思想は、その時代時代で変わり、ニヒリズムを基本としてダダイズムになったり社会主義的傾向が強くなったり仏教色が強くなったりするのだけど、基本的な部分は大杉栄や伊藤野枝と似通っている。

彼らの思想を簡単にまとめてしまえば
「もっと人間は自由に生きていいはずだ」
「国家や資本家に搾取されるのはおかしい」
「常識や法律に縛られずに自分に正直に我儘に生きるべきだ」
という考え方で、大杉栄や伊藤野枝は、
「世界は間違っている。だから社会を変えよう!政治家や警察の言うことなんか聞かない!」
と言って演説や出版などを行なったのに対して、辻潤は
「世界は間違っている。だからいろいろ面倒だ。俺は何もしたくない!」
と言って寝てばかりいた。

その何もやらない加減は半端ではなく「私は常に無為無作を夢みている」と書いている通りに、食べ物も無い戦時中に乞食をやって暮していた程で、ついにはあまりにも何もしないので餓死してしまう。

後ろ向きのアナキズム

大杉栄の戦うアナキズムも素晴らしいのだけど、僕のような緩い人間からするとなんだか恐ろしくも感じられて、辻潤のどこか後ろ向きのアナキズムにひどく共感をしたのだ。

最初に辻潤を知ったのは、山田風太郎の「人間臨終図鑑」だった。この本では、さまざまな有名人の人生と臨終の出来事がひたすら綴られている。(いろいろな作家の概要を知りたいと思った時には便利な本だと思います。)
その中の辻潤の働かな過ぎて餓死するエピソードに惹かれ、現在、唯一出版されている「絶望の書 ですぺら」を購入した。(「辻まこと 父親辻潤」も出版中だが、辻まことを中心とした本で辻潤に関する記述は少ない)

この本を読んだ時、僕は毎日会社に行くのが苦痛で仕方なく、何故こんなにも苦労をして働かなくてはならないのか、悩んでいた。毎日決められた時間に起床して、会社で決められた規則に従って奴隷のように働くことに違和感があった。

この本を読んで、世界に蔓延している常識や法律の暴力性を再認識し、大正時代にこれほどまでに自由に生きていた人が居たということに衝撃を受けた。人間は生まれながら完全であるとして成長することを拒否したり、ニーチェの「超人」を皮肉って「おれは低人だ」と言ってみたり、乞食をやってみたり、天狗になって家の屋根から飛び降りたり(精神異常をきたしたとき)、やること成すことがぶっ飛んでいて、それでいて暗くて人間味があって、この本一冊で僕は辻潤に夢中になり、神保町を歩き回って絶版となっていた辻潤全集を買い漁り、片っ端から読み耽った。自宅ではもちろん、満員電車の通勤の行き帰りにも分厚い全集をカバンに入れて毎日毎日読んだ。

働かないこと

当時は今のように、「働かないこと」に積極的な考え方は一般的でなく、ミニマリストやダウンシフトもまだまだ一部の変わり者達の考えに過ぎなかったのか、当時、僕がそれらに関する本を読んだ記憶は無い。また、今のphaの「ニートの歩き方」に代表されるようなユルイ働き方というのを僕は知らなくて、もっと強烈な思想としての「働かない」ことを辻潤で知り、僕は大きく影響を受けることになった。そして、その後僕は会社を辞めることになる。

ちなみに僕が現在も所有しているのは「オリオン出版社」の「辻潤著作集」で、当時は神保町まで行って購入したが、今ならインターネットを使って簡単に手に入れることができる。興味がある人にはぜひ読んでいただきたいが、既に絶版となっているので、「あまり面白くないな」と思ったら、古本として売るか、図書館に寄付してもらいたい。次の時代を生きる人達にも読んでもらえたら、と思うから。