花火は躁状態へのスイッチだ

先日、今年最初の花火を近所のお祭りで見た。

ばかばか打ち上がる花火を見上げながら、「あぁ夏が終わってしまう」となんだか哀しい気持になった。

たいてい花火というのは夏真っ盛りに行われるイベントで、花火をやってもまだまだ夏は続くのだけれど、何故花火を見ると哀しいような気持ちになるのだろう。

花火そのものが一瞬で消えるという儚さもその要因かもしれないが、他にもいろいろ要因がありそうだ。

花火を見上げる度に思うのは、この花火をもう一度見ることは絶対にないのだということ。普段意識しない時間の不可逆性を意識させられる。

そして一年に一度くらいしか花火を見ることはないから、さらにこの感覚は強くなる。

僕の場合「今年も花火の時期がやってきた!」という期待よりも「今年も花火の時期がやってきてしまった」という焦燥感の方が強い。

「花火が終わったら夏が終わってしまう!いそいで遊ばなきゃ!」

「もっと海行かなきゃ!」

「もっとキャンプ行かなきゃ!」

と、妙に焦るのだ。

花火が終わったら夏が終わり、夏が終わればあっという間に冬がやってくる。僕は冬になると毎年うつ状態になるから、余計に哀しい気持ちになってしまうのかもしれない。

僕にとっての花火は、夏の躁状態への切り替えスイッチなのだ。花火がドーンと上がると同時に僕の躁状態へのスイッチが入る。

そしていま僕は猛烈に焦っている。夏が終わってしまうとか、そんなレベルではなく、このままでは何もせずにあっという間に人生が終わってしまうのではないかと危機感に駆られている。そして、「あれもやりたいこれもやりたい」と、妙なバイタリティがふつふつ体の内から溢れてきている。

たしかに人生が終わってしまう危機感のようなものはあるのだが、今は至極前向きだ。これが冬だったら、すごく落ち込んでしまうのだけれど。

梅雨の間は、なーんにもしていなかった。なーんにもしないで床ずれするくらいごろごろして、家に引きこもっていたくせに、夏になったらこの状態だ。

冬の鬱と夏の躁を一年で均して感情の起伏少なく穏やかに生活していきたいと思うのだが、なかなか良い具合いにはいかないもので毎年毎年15年くらいこんな一年を送っている。

今年こそは冬も普通に生活していきたいとは思っているが、難しいのだろうなぁ。

とにかくこれから寒くなるまで必死に遊びたいと思います。