隠居したい人に薦める2000年前の実践的哲学 中澤務訳 セネカ「人生の短さについて」

ローマの哲学者セネカの「人生の短さについて」「母ヘルウィアへのなぐさめ」「心の安定について」をまとめた光文社古典新訳文庫を読みました。

古典にありがちな読み難い訳文ではなく、現代的で平易な文章で訳されており、とても読みやすくなっています。

セネカは2000年前のローマのストア派の哲学者で、ストア派の禁欲的な思想がよく分かる本でした。

僕は何故か禁欲的な思想に惹かれます。セネカと同じくローマの哲学者で、浮浪者のような生活を送ったディオゲネスだったり、日本各地を放浪した種田山頭火だったり。

今回は、セネカの作品で気になった箇所をまとめておきます。

「人生の短さについて」

多くの人たちは、他人の幸運につけ込んだり、自分の不運を嘆いたりすることで頭がいっぱいだ。

僕はボヤいていることが多い。愚痴っぽいと指摘されることもある。この習慣が良いことだとは思ってはいないが、最近は諦めていたところもある。少しは自戒すべきだろうか。

ひとは、自分の財産を管理するときには倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう。

人々は時間を、まるで無料のものであるかのように惜しげもなく使う。

先延ばしは、人生最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。

どうすれば自分の時間の主人公になれるというのたろうか。

時間の使い方が下手だと感じることがよくある。なにかと用事は先延ばしにしがちで、あれをやろう、これをやろうと思ったまま、何年も経ってしまっていることがたくさんある。それと「自分の時間の主人公」というのは素敵な言葉だと思う。

真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある。

インターネットのゴミ記事ばかり読んでいて気付けば夕方、なんてこともある。昔は毎日のように本を読んでいたのだけれど。貧乏人の味方である図書館は有効活用していきたい。

とりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。

ひとは、互いの時間を奪い合い、互いの平穏を破り合い、互いを不幸にしている。

働いているときに感じるのは、カネのために無駄な時間を浪費しているということ。自分のためのようで他人のために貴重な時間を捨ててしまってはいないか。

誰も死をみすえることもなく、遠くの希望ばかりみている。

僕には空想癖があり、ぼんやりと理想の生活などを空想していると一時間くらいあっという間に過ぎている。同居人や友人には、「何をしてるの?」と気持ち悪がられる。辻潤の晩年は息子の辻誠に「空想の世界にいた」といわれるほどぼんやりとしていたようだが、それは遠くの希望を見ていたのだろうか、それとも死を見据えて思考していたのだろうか。僕は叶いもしないことを空想してばかりいるが。

「心の安定について」

ひとは、次から次に、旅をくり返し、次から次に、眺める風景を変えていく。まことに、ルクレティウスの述べている通り、「このように、ひとはみな、つねに自分自身からのがれようとする」わけだ。しかし、そんなことをして何になるのだろう。結局、逃れることなどできないのに。自分のあとを追って付きまとう、最も厄介な同伴者は、自分自身なのだから。だからこそ、われわれは、よく知っておく必要がある。われわれを苦しめているのは、土地の欠点などではない。自分自身の欠点なのである。

耳が痛い話だ。何か変わるのではないかと期待して次から次に旅に出て、結局何も変わらずに帰ってくる。僕は変化を周囲に期待し、自分に変化が向かうことを拒否しているのかもしれない。

虚飾から身を遠ざけよう。ものごとの価値を、見た目ではなく、内実で評価する習慣をつけよう。食べ物は、飢えをしのげるものでよい。飲み物は、渇きをしのげるものでよい。欲求は、必要なものだけを満たせばよい。自分の手足に頼るすべを学ぼう。衣服や生活の流儀は、流行を追いかけるのではなく、父祖の習慣に従うことを学ぼう。克己心を強めるすべを学ぼう。贅沢を控えるすべを学ぼう。虚栄心を抑えるすべを学ぼう。怒りを鎮めるすべを学ぼう。偏見のない目で貧困を見るすべを学ぼう。つつましさを実践するすべを学ぼう。たとえ多くの人に恥だと思われようとも、自然の欲求は、安価な手段で満たしてやることを学ぼう。度を超えた望みや、未来の方ばかり見ている心を、鎖で縛るように押さえ込むすべを学ぼう。幸運の中にではなく、自分の中に富を探し求めるすべを学ぼう。

隠居や金欲的主義から距離を置きたい人間にとっての答えともいえる一文。これが2000年も前に書かれているということがすごい。そして2000年も経ったのに、たいして人間が賢くなっていないというのもまたすごい。

われわれは、心を柔軟にして、自分が決めた計画に、固執しないようにしなければならない。不測の事態が生じて、われわれを取り巻く状況がへんかしていくのなら、それに身を任せればいいのだ。計画や状況が変わることを、あまり恐れてはならない。

移住してから、計画に縛られ過ぎだ。もっと柔軟にいきたい。移住する際に、いろいろな人達に移住後の計画について話した。僕は、その話した計画を実現しなければならない、と固執してしまっているようだ。友人達の為に移住したのではない、自分の為に移住をしたのだから、今の自分が求めるように柔軟に対応すべきなのだろう。