幸せについて考えた「人生をいじくり回してはいけない」水木しげる

水木しげるの本が好きで時々読むのだが、今日は「人生をいじくり回してはいけない」を読んだ。

水木しげるの考え方の根底にあるのは、幼少期の田舎で覚えた妖怪の話しと、戦場での壮絶な体験、戦場で仲良くなった原住民との生活だ。

水木しげるは原住民のことを土の上に生きる人々として土人という言葉をあえて使っている。そして彼らの生活を楽園と思い、戦場で終戦を迎えたときには本気で現地に留まることも考えたそうだ。

彼が幸福について書いているところをいくつか紹介する。

人口の密集してるところでは、やっぱり金がなけりゃ、どうしようもない。〜都会じゃ、金がなけりゃ地獄です。それが怖いから、みんな必死に働くけど、ちっとも幸せになれんです。文明があるところは、楽園たり得ない。

彼の幸福の理想像は、土人の生活である。金を必要としない、金があっても使いようのない土人の生活こそが楽園であり、それとは対極にある日本での暮らしは幸せからは遠くなってしまうと説く。

そして日本での仕事について、幸福について書いているのは以下の通り。

やっぱり努力しないと。水木サンはかなりしたですよ。飯も食わずに寝ないで努力しているような感じで努力したからね。〜しかし、努力してもやっぱり成功するのは一割くらい。だから、あとは怠け者になりなさい。あきらめてのんびり暮らしなさい。その方が幸福かもしれない。

結局、人というのはそれほど幸せじゃないけれど、それほど不幸せな状態でない、っていうことで墓場まで行くんじゃないでしょうかね。だから、幸福の問題というのは、あきらめの問題ってことになるんじゃないですかね。活動してもなかなか得られるもんじゃない。

基本的にはのんびり暮らすことが幸福につながる、「幸せ」を追求しても手に入るものではないと筆者は言う。何故なら、原住民には「幸せ」という言葉は無いが「幸せ」の空気が溢れている。文明人は「幸せ」という言葉を知ってしまったが故に「幸せ」に縛られてしまったのだと水木しげるは指摘している。

そして日本社会の現状を記しているのは下記の通り。

奇人変人を面白がる風土が私の故郷にはあって、子供だった私も彼らを面白く観察していた。その点でも、いまは随分つまらない。学校ならば勉強が出来るかどうか、社会では金持ちかどうかだけが基準で、おかしな大人を面白がる余地がうんも狭くなったように思える。こういう世の中で、自殺者が増えるのもよくわかる。

いじめによる自殺を止めようというのならば、子供たちに「幸せになる術」を身につけさせる必要がある。自分にとっては何が幸せなのか、そのためには、何をすればいいのかを考える習慣を、それこそ学校で教えてはどうだろう。

日本の不寛容で画一的な価値観を捨て去り、各人が自分にとって何が幸せかを見極めるべきだと説く。一つ前で引用した箇所では幸せを追求しても幸せにはなれないとしていたのだが、この辺の自由な感じも水木しげるらしいところだ。おそらく、周囲の価値観に踊らされずに自分が本当に好きなことをやりなさいよ、と言っているのだと思われるが。

結局、のんびり好きなことして暮らすことが一番だと僕も思っている。そしてそれは、都会では難しいことも感じている。ただ単に、都会は家賃が高いからとかではなく、金への依存度が都会の方が高くなるからだと思われる。金への依存度が高くなれば幸せは遠くなってしまう。

金から距離を置くことで、「幸せ」はぼんやりと浮かび上がってくるのかもしれない。