移住と虚しさについて

海外を旅したり、自転車旅行したり、仕事を辞めてごろごろしたり、移住したりして生きていると、世間のしがらみや価値観に縛られずに自由で楽しそうだ、と思われるようだ。

本気か嘘かは分からないが、「羨ましい」ということもよく言われる。

でも、僕が人から羨ましがられるほど幸せかというと、そうでもない。

旅したり、移住したりするのは、現状の生活に不満があるからだ。今の生活に満ち足りているならば、わざわざ移住などしない。

移住者のブログや雑誌の記事なんかを読むと、とても幸せそうに書かれていることが多い。実際に、新天地で新しい人生が始まり、毎日楽しく過ごしている人もいるのかもしれない。ただ、全員が移住して幸せかというと、そうではないはずだ。それは、移住先で嫌な目にあったかどうかではなくて、移住をする人の考え方に違いがあるからではないかと思っている。

常に満たされない人

移住をする人は、現状に満足できない人なのではないかと僕は思っている。

東京で働いて生活することに不満を持ち、田舎に移住すれば田舎の生活に満足できない。常に満たされない人が実際に移住に踏み出すのではないだろうか。

マイルドヤンキーといわれる人たちがいる。彼らは地元の高校を卒業し、地元で就職し、幼馴染と結婚し、地元で子育てをする。子供の頃からの仲間と大人になっても一緒に過ごす。彼らの幸福度は高そうだ。

けっして給料の高くない地元の企業で満足し、人間関係は地元内で完結する。海外に旅行に行くことはあっても、それは地元の友人や家族と行き、現地にどっぷり浸かるような旅ではない。

どちらの生き方が正しいとか、そういうことではないが、迷うことなく地元に留まることのできる人たちが羨ましく思えることもある。

僕の地元は関東だが、幼馴染は地元意識が強く、小中学校の幼馴染のほとんどが実家の近くに家を建て暮らしている。

高知県で生活している人たちも地元意識は強く、僕が定期的に行っている集も県内出身者が多い。とくに、四国以外の出身者に出会うことは少ない。関東出身ということだけで驚かれることもあるくらいだ。

地元に留まることができる人は満足出来る人なのだと思う。もちろん、辛い環境でも逃げられないという人もいるかもしれないが、地元で満足しているように思われる人たちが僕の周りにはたくさんいる。

僕はぶらぶらしていて、自由に思われるかもしれないが、常に何処か満たされないものがある。虚無感といってもいいかもしれない。

今までやってみたいと思ったことは大抵やってきた。仕事も趣味もある程度思い通りにやれてきたと思う。それでも通奏低音のようにいつでも小さな虚しさが張り付いているのだ。いつから、この虚しさが僕に張り付いたのかは分からない。気付いたらすぐ隣にいたのだ。

どんなに笑えることがあっても、彼女ができても、仕事を成功させても、お金を手に入れても、結婚しても、移住しても、何をしても虚しさが付いてくる。

移住したことでストレスは間違いなく減ったし、仕事やお金に関する恐怖心もかなり減った。それでも、ふと虚しさを感じる。

東京で生活しているときは、虚無感だけでなくもっと切実で逼迫した恐怖感があったが、今はぼんやりとした虚無感がある。

虚無感は自分の影のようにいつでもすぐ隣にいて、時々濃くなったり薄くなったりしている。これが具体的に何なのかは分からないが、多分一生付き合っていかなければならない奴なのだろうとは思っている。

厚生労働省の自殺対策に関する調査では、「自殺したいと思ったことがある」と答えた者の割合は19.1%で、「自殺したいと思ったことはない」と答えたのは70.6%もいたとのこと。

7割以上の人が「自殺したいと思ったことはない」というのが僕には驚きだった。人間おぎゃあと生まれてきたならば、時々そんな考えに至るのが当然だと思っていたのだが、意外とそうでもないらしい。前向きなのは羨ましいが、あまりお友達にはなれそうにない。

とにかく、虚無感というのはしつこくしつこく付きまとってくるから、同じような感じがしている人は不用意に移住なんかしない方がいい。僕は移住してよかったと思っているが、そう簡単に彼らは離れないよ。